忠犬物語と聞くと、東京・渋谷駅前で亡き主人の帰りを待ち続けた秋田犬「ハチ公」を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、秋田犬にまつわるストーリーはこれだけではない。秋田犬発祥の地とされる大館市では、もう一匹の忠犬「シロ」の伝説が数百年にわたって語り継がれている。
シロの伝説が残るのは、同市葛原地区にある「老犬神社」だ。市中心部から鹿角市方向へ国道103号を車で30分ほど走り、さらに山道を徒歩で数分上った場所にある。神社別当の木次谷賢一さん(69)によると、神社の起源について、次のような言い伝えがあるという。
江戸時代、鹿角市大湯(旧南部領)の草木に定六というマタギが住んでおり、先祖の功によって領主から「天下御免の又鬼(また
ぎ)免状」(他の領内や寺社でも猟が認められる書状)を与えられていた。シロという飼い犬がおり、一緒に狩りに出掛けていた。
ある寒い冬の日。定六とシロはカモシカを追っているうちに三戸(青森県三戸郡)へと足を踏み入れ、三戸城近くで発砲した罪で役人に捕らえられてしまう。身分を証明する免状を家に忘れてしまった定六は、事情を釈明するも聞き入れてもらえずに投獄され、シロに「免状を持ってきてくれ」と頼む。
シロは雪の山河を越えて家に駆け戻り、免状を持って三戸へ戻った。しかし、時は既に遅く、定六は処刑された後だった。
その後、所払いを受けた定六の妻とシロは草木を離れて秋田領の葛原に身を寄せたが、いつからかシロの姿が見えなくなり、ある日村人が近くの丘で死骸を見つけた。以降、武士が馬でその場所を通ると突然馬が暴れだし、落馬して大けがをすることが繰り返された。葛原の人々は定六を殺した武士に対するシロの怨念だと恐れて供養した。そして、定六とシロの哀話に心を打たれ、山腹に社を建ててシロの霊を祭った。
神社の本殿にはご神体のシロの像がある。言い伝えに出てくる「又鬼免状」は、今も別当家で代々受け継がれている。
老犬神社は日本で唯一犬をご神体とする神社といわれている。毎年4月17日の例大祭には、ひっそりとした山の中にある神社に、県内外から約100人の参拝者が訪れる。
今年の例大祭は神社創建400年の節目に当たり、地元の葛原自治会からシロのご神体を模したこま犬2体が新たに寄贈された。
木次谷さんによると、近年の秋田犬ブームに乗って参拝客は増加しているという。2019年に神社を参拝し、記帳した人は約740人。記録に残っている12年からの7年間で約13倍に増えた。
神社側も、参拝者に喜んでもらおうと記念スタンプを作ったり、免状をくわえて走るシロをデザインしたお守りを販売したりしている。
木次谷さんは「『恩を忘れない』というシロの思いを語り継いでいく。葛原地区が秋田犬の聖地として国内外に広く認知されるようになればうれしい」と話している。