ありがとう「わさお」<上> 最期までわさおらしく

  • 2020-07-16
  • 2020-07-17
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<取材:鎌田一也>

 白くて長いもふもふの毛と愛くるしい表情で多くの人を魅了した秋田犬の「わさお」が6月8日、天国へ旅立った。「ムク毛」と呼ばれる長い毛は、秋田犬保存会(本部大館市)が定める秋田犬標準からは大きく外れており、間違っても品評会でナンバーワンに選ばれるような犬ではない。しかし、その存在はまさにオンリーワンだった。

わさおとつばきの骨壺や節子さんの遺影が並ぶ祭壇の前に立つ菊谷忠光さん(左)と工藤健さん=7月8日

 死後1カ月以上たった今なお、わさおが“出勤”していた青森県鰺ケ沢町のいか焼き店「きくや商店」には、大勢のファンが弔いに訪れている。 

 きくや商店の一角には、わさおと、わさおの“愛妻”で昨年5月に急死した「つばき」の骨壺が、ファンの手向けた花に囲まれ並んでいる。元々は、わさおへの感謝状などを飾っていたスペース。飼い主だった菊谷節子さん(2017年11月死去)の遺影が優しくほほ笑みかけ、背後から2匹を見守っている。

立ち上がることができなくなった後も、きくや商店に毎日“出勤”していたわさお=今年4月 (C)WasaoProject

 わさおは今年4月、後脚の衰えから自力で立つことができなくなったが、通院治療の傍ら、毎日、飼い主の菊谷さん宅から3キロ離れた店に車で運ばれ、つばきの骨壺や節子さんの遺影の前で過ごしていたという。

 その理由について、わさおの散歩や通院を手伝い、取材や商業展開の橋渡しも行ってきた支援団体「わさおプロジェクト」代表の工藤健さん(52)は「わさおの生活のリズムを変えたくなかった」と説明する。

 工藤さんにはこんな苦い記憶がある。2013年、節子さんの入院で2カ月ほどわさおを訓練士の元に預けた時のこと。トレードマークの長毛が抜け、全く別の犬のように変わってしまったのだ。「元々捨て犬だったが、節子さんに会えない日々が続き、また捨てられたと思ったのかもしれない」と工藤さん。

 節子さんはその後も入退院を繰り返したが、その入院以降は店に毎日出向くわさおの生活スタイルは変えず、節子さんの入院中も比較的落ち着いているように見えたという。

わさお(左)、つばき(右)とちょめの“親子”3匹=2017年12月 (C)WasaoProject

 この時の経験で、節子さんは「わさおを孤独にさせてはいけない」と強く思うようになった。14年には「つばき」を嫁に、16年にはわさおと同じ長毛の秋田犬「ちょめ」を養子に迎え、親子3匹の生活が始まった。残念ながらつばきは昨年死んだが、ちょめは今も毎日、きくや商店に顔を出している。

 節子さんが亡くなった直後、わさおは節子さんを捜すように店内をうろうろしたり、散歩の時にいつもより遠くに行きたがったりしたという。つばきが死んだ後も同じような行動を取っていた。ただ、やがて、普段通りの振る舞いを見せるようになった。工藤さんは「わさおの本当の心の内は分からないが、節子さんの死を認めない、いつかまた会える日までここでじっと待つと決めたのかもしれない」と推測する。節子さんの遺志で、わさおは節子さんの葬儀に参列しなかったという。

 わさおが立ち上がれなくなったのは、新型コロナウイルス感染拡大で全国に緊急事態宣言が出されていた頃。わさおの身をどれだけ案じても、当時は県境をまたぐ移動ができず、見舞いもかなわなかったファンもいたという。

 ただ、工藤さんは「最期の日々を静かに過ごすことができた。わさおにとっては良かったのでは」と推し量る。

 節子さんの長男で、節子さんの死後にわさおの世話をしている忠光さん(56)は、「いつかはこういう日が来るとは思っていた」と、わさおの死を努めて冷静に受け止めようとしていた。わさおは6月8日もきくや商店に出勤後、夕方、病院で手当を受ける途中に眠るように静かに息を引き取った。忠光さんは「わさおが家に来てくれたお陰で、色々な人の人生が変わり、さまざまな体験をさせてもらった。わさおの姿はもう見えなくなったが、皆さんの心の中で思い出として生き続けてほしい」と話している。

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わんこがつなぐ世界と秋田

モフモフした毛並みに、つぶらな瞳、くるりと丸まった愛らしいしっぽ。たくましい身体を持ち、飼い主に忠実な性格でも知られる秋田犬は、今や世界中の人気者です。海外での飼育頭数は増え続け、本場の秋田では観光振興に生かそうという動きも活発化してきました。秋田魁新報は「秋田犬新聞」と題し、国内外のさまざまな情報を発信していきます。秋田犬を通して世界と秋田をつなぐ―。そんなメディアを目指していきます。

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