「今年もいぶり大根作りが始まりました」。「秋田犬新聞」を担当するデジタル編集部に、一通の手紙が届いた。送り主は秋田市雄和の伊藤恒義さん(81)と、妻の孝子さん(77)。同封の写真には大根をいぶす小屋の前でポーズを取る2人と、真っ白な秋田犬が1匹写っていた。
自然豊かな秋田市雄和地区に夫婦を訪ねた。小屋の中には、いぶし作業も終盤に差しかかった大根が見える。9月から12月にかけて、自家消費用や知り合いに頼まれた分をいぶすのが毎年の恒例行事だという。
作り始めて20年以上。ナラやサクラの丸太と、木を伐採した時に出るおがくずを使い、じっくりと弱火でいぶすのがこだわりだ。小屋の天井近くに設けた棚に大根を並べ、数時間ごとに角度を変えながらいぶし加減を調整する。水分が抜けて表面が茶色くなったら、今度は漬け込みの工程へ…。
恒義さんから作り方を一通り聞いていたところに、孝子さんが白毛の秋田犬、輝雪姫(きせつひめ)(雌、11歳)を連れてきた。あだ名は「ヒメ」。「こっちだよ」と促されて近づいてくるが、足取りはゆっくりとしている。
4年ほど前から白内障を患っており、今はほとんど目が見えていないのだという。それでも鼻をくんくんと動かし、いぶり大根の出来を確認するようなそぶりを見せると、夫婦が笑って「ヒメ、いいど~」ともり立てた。
ヒメは2013年に大仙市の犬舎から迎えた。「秋田犬がいると話題になり、近所の子どもたちがよく見に来たもんだ」と恒義さん。以来、家族の一員として幸せに暮らしてきたが、これまでに何度か病と闘ってきた。
19年7月には、全くご飯を食べずに元気のない日が続いた。心配した夫婦が病院に連れて行くと、子宮に問題があることが分かった。検査の結果、医師から「このまま放っておけば死んでしまう」と告げられ、子宮の摘出手術を受けさせることを選んだ。
恒義さんは「とにかく気が動転して、つらかった。何とか生きていてくれ、と願うことしかできなかった」と振り返る。手術は無事に成功。孝子さんはこのときの経験から、ヒメの体調を毎日欠かさず記録するようになった。
経過観察のため病院通いを続けていた20年には、新たに糖尿病と、白内障にかかっていることが判明した。現在もインスリン注射と、白内障の進行速度を抑える点眼薬で治療を続けている。
11歳とだいぶ高齢に差しかかったヒメに、少しでも長生きしてほしい。夫婦は日常生活のさまざまな場面で健康管理に心を砕いている。
例えば食事の面では、白米が好きなヒメのためにササミや小松菜を混ぜて与えることで、糖質の量を調整する。孝子さんは「子どもみたいに手間がかかるよ」と困ったように話すが、ヒメがかわいくて仕方がない様子だ。
恒義さんは日課の散歩中、目の見えないヒメに「穴があるよ」「そっちはやぶだよ」などとこまめに声をかける。カラスを見つけると「クロちゃん(カラス)、ヒメちゃん呼んでるよ~」と自作の歌を披露することも。
1年ほど前には、ひやっとする出来事があった。いつものように散歩をしていると、ヒメが突然、道の上にゆっくりと倒れ込んだのだ。そのままの体勢で動かないヒメの姿に、恒義さんは思わず死を覚悟して涙が出たという。幸い、10分ほどで再び起き上がって歩き始めたものの、残りの寿命を意識してしまう瞬間だった。
夫婦はヒメに「1日1日を一緒に生きて、少しでも長生きしようね」と語りかける。どうか来年も、その先もヒメと一緒に、いぶり大根作りの季節を迎えられますように―。