わさおは2007年秋、青森県鰺ケ沢町の観光物産施設「海の駅わんど」付近をさまよっているところを菊谷家に保護された。獣医師の見立てでは生後5カ月ほど。同年夏ごろに生まれたと考えられるとのことだった。
「ちょうど雪が降り始める時期だったと思う。とにかく汚い犬だったという印象」と菊谷忠光さん(56)は振り返る。捨てられたということもあるのか、警戒心が強く、つかまえるのに苦労したという。
「太い脚を見ただけで、相当大きな犬になることは見当がついた。今までもたくさん犬を飼ってきたが、これはものが違う。自分の両親ももういい年だし、大型犬の世話をするのは難しいのではないかと思った」と忠光さん。父・静良(しずよし)さん(79)の反応は、もっとストレートで「保健所に連れて行け」というものだったという。
家族が反対する中、唯一わさおを飼うことを強く主張したのが、忠光さんの母節子さん。わさおの世話は節子さんがみることにし、晴れてわさおは菊谷家の一員となった。わさおが節子さんにだけ従順でべったりと甘えていたことも、ほかの家族には全く懐かなかったことも、そうした経緯があったためといわれる。とりわけ静良さんには、生涯気を許すことはなかったという…。
節子さんが亡くなった2017年以降、わさおの世話をしてきたのが忠光さんだった。「とにかく何をやっても嫌がられ、うなり声で威嚇された。わさおは自分の顔の周りの長い毛に触られることを極端に嫌がるが、目やにが出ていれば、取ってあげたり目薬をさしたりしなければならない。苦労が絶えなかった」と忠光さん。
それでも「手の一本や二本かまれても仕方ない。俺がやるしかない」と覚悟を決めて世話を続けた。半年が過ぎたあたりから徐々に心を許してくれるようになったという。「いつの間にか甘えてくれるようにもなっていた。その時はとても嬉しかった」と笑顔で振り返る。
わさおに関する有名なエピソードに、なぜ「わさお」なのかという話がある。保護された当初は「ポンタ」と呼ばれ、忠光さんの子どもたちからは「レオ」と改名されていた。
「わさお」の名付け親は都内在住の旅行ブロガー、メレ山メレ子さん(37)=会社員、エッセイスト。わさおを全国区のスター犬へと押し上げるきっかけをつくった、その人である。
「イカのカーテンが見たい」。メレ山さんは東北各地を旅行中だった2008年春、鰺ケ沢駅から歩いて30分ほどのきくや商店で「レオ」と初対面を果たす。第一印象は「犬としてもギリギリな感じの犬」だった。
メレ山さんは犬の名前が「レオ」だとは知らず、自身のブログに「とりあえずこの犬のことはわさおと呼ぼう」と書き込んだ。
【メレ山メレ子さんのブログより】
イカの町で出会ったモジャモジャ犬「わさお」
「レオ」の名前もいいが、「わさお」ほどこの犬の特徴を端的に言い当てている名前は他にないだろう―。鰺ケ沢町に住み、後に支援団体「わさおプロジェクト」の代表となる工藤健さんから、メレ山さんのブログについて知らされた節子さんは、「いい名前をもらった。良かったな」と、「わさお」という名前を大変気に入り、改名に踏み切った。
メレ山さんは「捨て犬だったわさおが節子さんに拾われ、生き生きと幸せそうにしている様子に感銘を受けた。初めてわさおに会ったときはまだ幼くて、節子さんにじゃれついてはしゃいでいるのがとてもかわいかった。その後、わさおに会ったのは3回ほどだが、人に囲まれることに慣れ、落ち着きのある成犬になったなあと思った」と振り返る。
「秋田犬のムク毛が、一部のブリーダーの中ではハズレとして扱われていることに衝撃を受けた。こんなに魅力的な犬なのに…」とも。
一方で、自分のブログがきっかけでわさおがスター犬になったことについては複雑な思いを抱く。「犬にとっては本来、見知らぬ人に囲まれることはストレスのはず。静かな生活を乱してしまったことに罪悪感があり、最近はわさおについてあまり言及しないようにしていた」と言う。
わさおの訃報もツイッターで知った。「その前にも、起き上がれなくなっているとニュースで見ていたので心の準備はしていた。大きな事故などなく天寿を全うできたのは、菊谷さんのご一家や工藤さんなど地元の人たちの尽力があってこそだろう。わさおをかわいがってくださった人たちが、全ての犬や猫に変わらぬ愛情を向けてくださるといいなと思う」と話した。