秋田犬のブリーダー業界を前線で引っ張ってきた、2人の立役者が秋田県大館市にいる。この道50年の大ベテランで今春引退した日景久榮(ひさえ)さん(73)=同市釈迦内=と、著名人への譲渡などで度々話題をさらってきた畠山正二さん(80)=同市比内町中野=だ。思い出深い犬とのエピソードや今後の目標、若い世代へのエールを聞いた。
半世紀で引退、日景久榮さん 「犬の世話になった人生」
日景さんはこの春、自身が育てた最後の秋田犬を新しい飼い主に譲渡して現役を退いた。3年前に胃がんを患い、犬舎の後継者もいないことから、ブリーダー歴50年を区切りに決断した。「昔はこの辺りにも、秋田犬保存会の会員が大勢いた。秋には皆できりたんぽ会もしたな」と懐かしむ。
1973年に保存会に入会。当時23歳と若く、先輩会員によくかわいがられたという。77年に秋田犬会館(同市三ノ丸)が建設される際には出資もした。
先輩たちから学んだことの一つが、犬の食事の重要性だ。「海や山の食べ物が一番」と、煮込んだ魚や野菜をコメと混ぜて与えることにこだわってきた。胸に厚みが出て、体高のある力強い体つきになるという。「声も、手もかけて育てるのがもう一つのこだわり。うちの犬は名前を呼ぶと、返事を返すよ」と笑う。
大切に育てた犬たちの中でも特に思い出深いのが、最後となった嵐(雄、5歳)。りりしい顔立ちで、イベントに連れて行くと大人気だった。引退を決めた今年4月、県外の新たな飼い主に託したが、それからわずか3カ月後に嵐は死んでしまう。
連絡が入る数日前、嵐が夢に出てきた。「暑いから頑張ってなー」と声をかけたのが忘れられないという。
50年を振り返り「犬の世話になった人生だった。会の先輩方は『日景くん、よく頑張ったな』って言ってくれるんじゃないかな」
業界の今後には危機感も持っている。「若い人を育てなければ、大館から秋田犬がいなくなってしまう。人の犬を見て学んだり、ブリーダー同士が集まって反省会をしたりする機会がもっと必要なのではないか」
「ゆめ」を育てた畠山正二さん 「元気でいればいいな」
畠山さんの犬舎前には、赤地に「秋田犬」「ゆめ」と書かれた旗が立っている。2012年、県がロシアのプーチン大統領に贈った雌の秋田犬ゆめは、ここの出身だ。
「選ばれて『まさか』と思った」。ちょうど子犬が生まれた時期に、秋田犬保存会から「赤毛の雌を探している人がいる」と相談を受けた。しばらくして、ゆめがロシアに贈られることが決まった。驚きの中、渡航まで約1カ月の間、肌が弱いゆめに合わせたシャンプーを使い、丁寧に体を洗って世話した。
ロシアに渡った後も何度か、報道を通して近況を知る機会があったものの、ウクライナ侵攻後は途絶えた。ゆめは今年で11歳、高齢の域。「元気でいればいいな」と、遠く大館から無事を祈っている。
ゆめ以外にも、元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん、福島県南相馬市などに秋田犬を贈ってきた。
畠山さんが本格的に秋田犬の世界に入ったのは、60歳を過ぎ、コメ農家を長男に引き継いだタイミングだった。元々犬好きで、マイカーを購入しようと車のディーラーに行くと、オーナーから秋田犬の子犬を見せられた。「『展覧会に出しても恥ずかしくない犬』だと直感した。気付いたら車ではなく、秋田犬を買っていた」と笑う。
当初、ブリーダーになるつもりはなかったが、他の犬を見ているうちに闘争心に火が付く。各地の展覧会に出陳しては、入賞を重ねていった。
現在は3~7歳の4匹を育てているが、この先もう1、2回、子犬を取り上げたら最後にするつもりだ。その後は手元にいる犬たちの展覧会出陳に集中するという。直近では12月に東京で開かれる本部展に出陳予定で、上位入賞を狙う。