由利本荘市の小川さん夫妻 しっかり育て、伝統継承

 高さ9㍍の観音像「赤田の大仏」で知られる由利本荘市赤田の長谷寺(ちょうこくじ)から約500㍍。田園風景の中にある自営業小川光弘さん(64)の自宅では、さまざまな動物が暮らす。

愛車スカイラインの前で愛犬とたたずむ小川さん(右)と沙美さん。赤毛のゆうこ(手前右)と虎毛のつばきが立派な立ち姿を見せる

 黒い毛並みが美しいイタリアン・グレーハウンドの「ここ」(雌、2歳)に、タカや亀。かつては比内地鶏やヤギも飼っていた。そうした中でも主役はやはり、雌の秋田犬で赤毛の「ゆうこ」(8歳)と虎毛の「つばき」(5カ月)だ。小川さんは以前、市内の街中に住んでいたが、「ゆっくりと動物を飼いたい」と2012年に自宅を建てて引っ越した。

 元々、悠々とした様子や歩き姿のかっこよさから大型犬が好きで、ゴールデンレトリバーやラブラドルレトリバーを飼っていた。10年ごろ、初めて日本犬を飼ってみようと宮城県内のブリーダーから虎毛で雌の秋田犬を購入。乱れるようなまだら模様の毛並みが特徴的で「乱」の音読みから「らん」と名付けた。しかし、子宮がんにかかり、5歳で息を引き取った。

 秋田犬の魅力を味わいきれないままらんと別れてしまった小川さんは、ゆうこを受け入れ、その後、らんと同じ虎毛のつばきも仲間入りした。ネパール出身で日本国籍を取得した妻の沙美(サビ)さん(45)や4兄弟の子どもたちが世話をしやすいよう、これまで飼った犬はすべて雌。また、沙美さんが市役所や動物病院で手続きしやすいように名前はすべてひらがなにしている。

組み合って遊ぶゆうこ(上)とつばき(下)

 最初はペットとして犬を飼っていた小川さんだが、秋田犬を飼い始めてからは、「秋田犬が全国や世界に名を売っていることが誇らしい。伝統を継承したい」と使命感が湧いた。らんとゆうこはそれぞれ20匹ほど子犬を産み、譲渡した。いずれは秋田犬のブリーダーの資格を取得したいという。

 秋田犬本部展にも出陳し、19年の第141回本部展ではゆうこが最も高い特優を受賞。小川さんは出陳のほか、審査員の補助も行っている。また、23年には忠犬ハチ公の生誕100年を記念し、秋田犬保存会がゆかりの地の東京都渋谷区で企画したパレードに参加。ゆうこが生んだ雌の「なな」を連れて行進した。

 中古車を販売する小川さんは大のクラシックカー好きでもあり、1966年製のホンダS800と?年製の日産スカイライン2000GTを所有する。「例えるなら赤毛のゆうこはがっしりした顔のスカイラインで、虎毛のつばきはシュッと鋭い(日産)フェアレディZかな」と笑みを浮かべた。

「ここ」(左)と遊ぼうと近づくつばき(右手前)とゆうこ(右奥)

 沙美さんは、ネパールで暮らしていた幼い頃、犬にかまれたことがあり、苦手意識があった。しかし、小川さんが一生懸命育てる様子を見て、自分も犬への愛着が湧いた。「自分の娘だと思って育てている」と話す。

 本部展に出陳するからにはしっかり育てたいと考える沙美さん。思いは自身の子育てにも通ずる。四男の拓さん(21)=城西大4年=は、小学校に入る前からサッカーを続け、西目高3年時に主将として全国高校総体(インターハイ)に出場した。拓さんが試合に負けても沙美さんは慰めず、自分に足りないものを考えさせて奮起を促し続けた。

 厳しさの背景には、日本以上に人間関係が濃密だったネパールで、人と上手に付き合うため両親から人間性を重んじ育んでもらった経験がある。「子どもも犬もかわいくて愛情があるが、甘やかすこととは違う」

 小川さんは「本部展で『小川の犬はすごいな』と言われるように育てたい。犬が本部展を引退したらペットとして接する。『秋田犬の伝承』か『ペット』か。節度を持って飼育したい」と話した。

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わんこがつなぐ世界と秋田

モフモフした毛並みに、つぶらな瞳、くるりと丸まった愛らしいしっぽ。たくましい身体を持ち、飼い主に忠実な性格でも知られる秋田犬は、今や世界中の人気者です。海外での飼育頭数は増え続け、本場の秋田では観光振興に生かそうという動きも活発化してきました。秋田魁新報は「秋田犬新聞」と題し、国内外のさまざまな情報を発信していきます。秋田犬を通して世界と秋田をつなぐ―。そんなメディアを目指していきます。

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