秋田県仙北市角館町で民泊「縁(えにし)」を営む吉見梓さん(45)は滋賀県出身。かつては大手旅行会社で添乗員として世界じゅうを飛び回っていた。いずれは民泊を経営したいと考えていたところ、角館にある築50年の知人の実家が長らく空き家になっていることを知り、借り受けた上でリノベーション。フラダンス講師をしている妹の純さん(44)とともに、2019年8月に開業した。民泊は年間営業日数が180日以内と法律で制限されており、営業するのは春から秋にかけて。冬の間、吉見さんは東京や仙台で暮らしながら、クルーズ船ツアーのコンサルタント業などに携わっている。
客がいる間、宿の看板犬の「すーちゃん」(4歳、雄)と「ふじこ」(2歳、雌)は、キッチンやリビングなど、宿泊客の共有スペースにリードでつながれいる。客がいない間は放し飼いだ。ただ、「私たちの顔が見えない場所にいるのは不安みたい」(吉見さん)で、2匹とも2人のそばを離れることはないという。
吉見さんは、インスタグラムを頻繁に更新、2匹の日常について発信を続けている。その中でも宿泊客の間で話題になっているのが、リラックスしたすーちゃんの無防備な姿だ。
「通常、犬は飼い主以外にお腹を見せるということはあまりないが、すーちゃんもふじこも、他の人になでられるのが大好きだ」と吉見さんは話す。宿泊客の中には、2匹のリラックスした様子が見たくて、長時間マッサージを続ける人もいる。2匹ともそれを喜んで受け入れる。時間無制限でモフモフした手触りを味わい放題という、犬好きにはたまらない体験ができる宿、ともいえる。取材に訪れた日も、30代の夫婦が30分以上にわたって2匹と触れ合いを続け、「写真で見て思っていた以上に大きかった」「初めての人にもほえたりせず、おおらかな犬だと感じた」と満足そうに話していた。
縁にはテレビが1台も置かれていない。「たまにテレビ局の取材を受けることもあるが、ニュースなどで放送されると聞くと、近所の人にテレビを見せてもらいに行っている。まるで昭和ですよね」と吉見さんは笑う。宿泊客から不満が出ることはほとんどないという。「せっかく縁に来たのだから、寝坊せずに一緒に朝の散歩に行きたい、と早めに就寝するが多いですね」。
吉見さんが秋田犬を飼おうと思ったのは、「秋田で宿を営むのなら、秋田犬を看板犬にしたい」という単純な思いだった。吉見さんはそれまで、秋田犬はおろか、犬自体を飼った経験がなかったが、開業を決意した直後の2018年夏に生後9カ月の「すーちゃん」を、翌年春には生後6カ月の「ふじこ」を迎え入れた。「まさか40を過ぎて犬のことで頭の中がいっぱいになる人生を送るとは思ってもみなかった」と吉見さんは笑う。純さんは、小さい時に犬にかまれて以来、犬はむしろ苦手だった。「すーちゃんとふじこに出合わなければ、こんなに秋田犬を好きになることはなかった」と振り返る。
飼い主に忠実という秋田犬の特徴については、吉見さんが飼う前に思っていた通りだったという。一方「秋田では、そこらじゅうで秋田犬を見ることができると思っていたが、そうでもなかったのは意外だった」と話す。ただ、「散歩をしていると、色々な人に声を掛けてもらえる。秋田犬が、私たちが角館という町に溶け込みやすくしてくれ、角館の人々との縁を結んでくれた」と話す。吉見さんと2匹が武家屋敷通りを歩く姿は、落ちついた町並みにすっかりなじんでいる。