わさおは「ブサかわ(不細工だけどかわいい)」の枕ことばでメディアに取り上げられることが多かった。「わさおプロジェクト」代表の工藤健さん(52)のブログ「わさお通信」によると、わさおを「ブサかわ」と紹介した最初のメディアは、2008年7月29日放送の日本テレビのバラエティー番組「99+(ナイナイプラス)」。
元SMAPの木村拓哉さんが「キムタク」の名でスターダムに駆け上がったように、4文字フレーズが人気に火をつけるというケースは少なくないだろう。ただ、筆者はこれまで、わさおのことをかわいいと思いこそすれ、不細工だと思ったことは一度もなかった。なぜ「ブサかわ」なの? そんな疑問と違和感があったから、この稿では「ブサかわ」という言葉を使ってこなかった。
わさおの風貌について、工藤さんは「確かに幼犬の頃は不細工だったと思う」と振り返る。「鼻が低く、目鼻口の配置も人間っぽくて、犬としては相当変わった顔立ちだった。ただ、成長するにつれて、徐々に犬らしい顔つきに変わり、どちらかというと『かっこかわいい』という雰囲気になった」と話す。
一方、母節子さんの後を継いだ2代目飼い主の菊谷忠光さん(56)は、わさおを「名優」と評する。「めちゃくちゃかわいらしい表情のときもあれば、りりしい表情を見せることもある。お手やおかわりなど、賢いと言われる犬が一般的にすることは何もできないが、目の前の人間の思いを読み取り、自分が今どういう表情をすべきか考えているように見えた」と話す。
実際、わさおは自身の半生をモチーフにした映画「わさお」で、全編スタント無しで主演を務め上げている。撮影が、気まぐれなわさおのペースを優先して進められたことは確かだが、タレント犬として訓練を受けたわけでもないのに、一本の作品を最後まで「演じきった」ということだけでも、わさおが「名優」であることに疑いの余地はないだろう。
工藤さんがわさおと初めて対面したのは2008年6月。プリントアウトしたメレ山メレ子さんのブログ記事を携え「ブログをネタにして、わさおに会いに行った」。以来、12年で10万枚もの写真を撮り続けた。
「最初はとにかく、わさおの雰囲気や立ち振る舞いが面白くて夢中になってシャッターを切っていた」。わさおは節子さんが運転するトラックの荷台に乗って移動することが多く「軽トラックの荷台に乗る姿がステージに立っているように見えた。それだけで、他の犬とは違う輝きを放っていた」と振り返る。
ただ、わさおや菊谷家との付き合いが長く深くなるにつれ、工藤さんの感じ方も変化していった。「わさおだけが魅力的なのではない。魅力の根源は節子さんをはじめ、わさおの周りの人たちや他の犬猫との関係性、海や川に囲まれた自然豊かな生育環境の中にあるのだと分かった。わさおを取り巻く全てのもののバランスの中で、わさおの物語が輝いていった。わさおが輝けば、わさおの周囲の人々も輝く。本当に不思議な犬だった」
私が取材のため鰺ケ沢町を訪れたのは、わさおの月命日(7月8日)だった。わさおが最期まで観光駅長を務めていたJR鰺ケ沢駅では、わさお追悼パネル展が開かれていたほか、「わさおありがとう、思い出はずっと胸に」と書かれたポスターが町の至る所に貼られていた。
わさお見たさに鰺ケ沢町を訪れる人は相当な数に上り、きくや商店へ観光バスで乗り付ける団体客も少なくなかった。わさおは、同町出身の人気力士・舞の海と同様、鰺ケ沢町のヒーローだった。
節子さんは生前、わさおに会いに来店した人は何人いるのか数えようとしたことがあったという。午前中だけで500人を超え、数えるのをやめてしまった。工藤さんが店員から聞き取って推計したところ、多い年で年間14万人ほどだったという。
「わさおが来てから、鰺ケ沢町では明らかに秋田ナンバーの車が増えた。わさおは、秋田と鰺ケ沢の交流人口拡大に貢献したと言えるのではないか」と工藤さん。実際、私が取材で店にお邪魔していた間にも、わさおに手を合わせたいという秋田市の男女2人組が来店した。
ちょっと風変わりな秋田犬が紡いだ数え切れないほどの縁。捨て犬がさまざまな出会いを重ねて日本中から愛されるようになった物語。わさおは死んだが、わさおの記憶はこれからも多くの人たちの中で生き続けていくことだろう。