4月上旬、秋田県大館市の観光交流施設「秋田犬の里」で取材のために待ち合わせをしていた記者の前に、二つの犬小屋を荷台に積んだ軽トラックが姿を現した。小屋の中にいたのは、大香(たいが、雄、8歳)と令香(れいか、雌、2歳)の2匹の赤毛の秋田犬。市内に住む中学2年生の若松志磨(しょうま)さん(13)が、祖父の若松正雄さん(享年73)から引き継ぎ、家族と一緒に世話をしている。
小屋は正雄さんが生前に作ったもの。犬たちの表札付きで、顔をひょっこり出せる小窓もある。2匹は秋田犬の里の展示室に時々登場する。移動に使うのは、もっぱらこの軽トラック。犬小屋ごと動き回るインパクトのある光景は市内ではおなじみで、テレビ番組で取り上げられたこともあるという。
志磨さんが小屋の柵を開くと、おてんばな令香は勢いよく地面にジャンプ。一方、温厚な大香はゆったりと降り立った。2匹のりりしい立ち姿は澄んだ青空によく映える。
大香が若松家の一員に加わったのは2013年の冬ごろだが、幼かった志磨さんは当時のことをほとんど覚えていないという。正雄さんが突然「ちょっとこっちに来て」と家族を家の前の駐車場に呼ぶと、そこには、生後間もない秋田犬の子犬がいたのだとか。
それから正雄さんは、どこに行くのにも、何をするのにも大香と行動を共にした。令香も19年の夏ごろ、「ある日突然」正雄さんが連れてきた。
家族も知らない間に、正雄さんは2匹の様子をツイッターで発信し始めた。正雄さんと2匹のほんわかとした日常は、じわじわと反響を呼んでいった。
正雄さんのことを「ジィジィ」と慕っていた志磨さん。軽トラックの荷台に腰掛け、ギター片手に2匹に弾き語りする姿を今も鮮明に覚えている。「いろいろなことを知っているし、何でもできる。かっこいいおじいちゃんだった」と懐かしむ。
令香が加わってから、正雄さんは志磨さんも散歩に誘うようになった。散歩中に正雄さんが教えてくれた秋田犬が体調を崩した時の対処法は、現在も世話をする時に役立っている。
元々持病のあった正雄さんは昨年7月、5日程度の予定で入院した。本人も家族も「すぐに帰る」つもりだったが、予想に反して入院期間は長引いた。コロナ禍で面会はできない。志磨さんたちは、どうにかして2匹と正雄さんを会わせようと、病室から見える場所まで連れて行ったこともある。正雄さんはうれしそうに笑っていたという。
入院してから約1カ月後、正雄さんは2匹との再会がかなわないまま永眠した。
正雄さんの死後、家族で2匹をどうするか話し合った。ジィジィの犬たちを自分たちが育てていけるのか―。当初は不安から里親を募集することも考えたが、手放したくない気持ちが上回った。
何よりも背中を押したのが、入院前に正雄さんが言った「大香と令香を頼む」の一言。ジィジィの願いに家族で応えることにした。正雄さんがやっていたツイッターもアカウントを削除する予定だったが、見ていた人から「続けてほしい」との声が多く寄せられ、「自分たちなりにやらせてもらおう」と今も更新し続けている。
長く正雄さんと過ごした大香は、今でも正雄さんの部屋で過ごし、正雄さんを探しているような行動を取ることもあるという。令香は志磨さんにべったりで、寝るときはいつも一緒だ。
2匹は家族にとって今や「いなくなったら困る存在」。志磨さんは「ジィジィには2匹のことは大丈夫だよ、心配しないで任せてと伝えたい」と胸を張る。
取材後、秋田犬の里の館内に来生たかおさんの「夢の途中」が流れた。正雄さんがよく弾き語りしていた曲だ。正雄さんにとって、2匹と過ごす日常はまだ「ほんの夢の途中」だったのかもしれない。これからは、その夢の続きを志磨さんら家族が描いていく。
(取材・藤岡真希)